日中地域交流会

日本と中国を結ぶビジネス交流の場です。

TEL.021-0000-0000

〒163-0000 上海市○○区○○○1-2-3

「江藤峰義さんを偲ぶ会」の御案内

「江藤峰義さんを偲ぶ会」の御案内

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  「江藤峰義さんを偲ぶ会」の御案内

謹啓 初春の候 皆様にはますます御健勝のこととお慶び申し上げます 
 すでにお伝えしました通り 日中地域交流会の主宰を務められた江藤峰義さんが胆管ガンのためお亡くなりになりました。
 葬儀はご遺族の意思により近親者のみで執り行われました
そこで江藤さんとご縁があった多くの方々にお集まり頂く「偲ぶ会」を左記の通り計画致しましたのでご案内申し上げます
御多用中とは存じますが 御出席くださいますようお願い申し上げます
なお会費制とさせて頂いておりますので ご香典・ご供花などは固くご辞退させて頂きます
また 当日は平服でお気軽にご参加下さるようお願い申し上げます
敬白
                           2016年1月     幹事 日中地域交流会ほか有志一同

- - - - - - - -

      記
日  時 2016年1月16日(土)(故人の一か月忌)
     受付13時30分 実施14時~16時30分
場  所 Café Bar & Grill 燕 
     上海市 長寧区匯川路91号(中山公園)
     電話   021-52729295

Café Bar & Grill 燕

Café Bar & Grill 燕

特別会費 100元 (当日会場にて申し受けます)
内  容 故人の上海での足跡展示及び懇談
募  集 故人との皆さま各自の想い出について、是非文章をお寄せください。
     投稿いただいた文章は会場にて展示させていただく予定です。 
     (お一人様800字以内、写真は1枚まで)
     希望者はメールでお送り頂くか、日中地域交流会サイトへ12日までにご投稿ください。
その他 希望者は開会に先立ち会場のお店の通常メニューで昼食が可能。(各自自己負担)

お手数ながら メールにて御出席のほどを 1月12日(火)迄にお知らせくださいますようお願い致します。

連絡先 日中地域交流会事務局 中村銘水 電話131─2206─3669

当日進行予定
13:30 受付開始
14:00 開式
14:05 参加者全員で黙祷   
14:10 有志代表による追悼のことば
14:20 弔辞2~3名程度(各3分程度)
14:30 献杯 ~ ご懇談
16:30 三々五々で解散

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コメント

  • 金玉琦 より:

    金玉琦参加

  • 坂本直規 より:

    お悔やみ申し上げます。

  • 谷口義忠 より:

    色々とお世話になりました、人一倍いつも周りに気遣ってた方でした、、。心よりお悔やみ申し上げます。

  • 直山たかし より:

    江藤さんは大分県出身で上海大分県人会にもご参加いただきました。いつも明るいやさしいお方でした。
    ご冥福をお祈り申し上げます。
    元大分県上海事務所 直山隆

  • 佐藤弘康 より:

    2015年12月16日夜11時過ぎ、コミュニティ誌「MARCO」の創刊にお力添えを頂いた江藤峰義先生が逝去された。その亡くなる前の週、上海で体調を崩し緊急帰国したばかりだった。享年76歳。江藤先生は、末期ガンの宣告を受けても、日中友好のための勉強会を開催し、雑誌作りも支援していた。死の直前まで活動を続けた姿に、私たちは多くのことを学ばせて頂いた。
    江藤先生は2003年上海に移り住み、その後情報誌を数誌立ち上げた。2000年代に上海にいた日本人なら一度は見聞きしたことがある「マイ・シティ」、「ザ・上海」、「イベント・チャイナ」である。2006年春に創刊した「イベント・チャイナ」は、江藤先生が最後に責任者として発行したビジネス情報誌であった。しかし赤字経営のため2008年11月号をもって休刊になった。上海で唯一、広告主の圧力があっても自らの主張を変えない雑誌であったが、時勢に逆らえず消えてしまった。当時、私は33歳で、江藤先生の書生として「イベント・チャイナ」のデザインを手伝っており、江藤先生の無念を間近で見ていた。また、江藤先生は70歳になったばかりで、今後の自らの体力を考えて、文筆活動の第一線から身を引かれることを決意したのだと思う。
    江藤先生が最後に携わった雑誌は、2009年11月創刊の「MARCO(マルコ)」である。私が責任者となって企画とデザインを担当し、江藤先生が監修および発行人として参加した。雑誌の内容は「イベント・チャイナ」の一部の企画を引き継いだが、上海にいる日本人と中国人の交流を促進させるためのコミュニティ誌とした。当時、江藤先生は、日中地域交流フォーラム(日中地域交流会の改称前の名称)の主宰に就任したばかりだった。それまで江藤先生の書生だった私も、江藤先生の指名で日中地域交流フォーラムの事務局に就いたので、私宛の事務局経費2200元をすべて印刷代に充てることに成功した。そして日中地域交流フォーラムの準会員誌として、有志会員から協賛収入を得てなんとか創刊することができたのだ。
    MARCOの名称は東方見聞録のマルコポーロが由来である。江藤先生がマルコポーロのように中国情報を発信していたことも名付け理由の一つであった。私が江藤先生にMARCOの名称を提案した時、非常に気に入っていた。また当時のMARCOの副題「日中交流の新しい視点」は、江藤先生が自ら付けたものだった。新しい日中交流のあり方を提起するための雑誌にしたいという江藤先生の強い願いが込められていた。
    MARCO創刊号は江藤先生が全て執筆したが、二号目以降の運営は全て私に託し、発行人として見守り続けてくれた。しかし、江藤先生の跡を継いだ私も2011年の東日本大震災で郷里が多大なる被害を受けたことを機に、上海でのMARCOの運営から離れざるを得なくなった。幸いにも、江藤先生や私と志を同じくする方々が現れ、2015年春に正式に引退することができた。今後は、江藤先生が残してくれたものを更に大切にしていきたい。江藤峰義先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

  • 小堺剛司 より:

    「江藤さんとの想い出」

    江藤さん、私が3年前初めてこの上海に来てすぐに、

    縁あって江藤さんと出会ったのが昨日のことのように

    思い出されます。

    あの頃私は、中国の右も左も分からず、自分の居場所

    すら確保できない中、江藤さんには公私に渡り

    本当に良くしていただき、お陰で早くからこの中国に

    馴染むことが出来たと心より感謝しています。

    江藤さんは、年が20以上も離れた若造の私を、いつも優しく見守って

    くれました。時には厳しく、また時には頼りにしてもくれました。

    「中国に10年以上居る日本人には、くれぐれも気を付けた

    方がいいよ」

    ご自身が10年以上もいらっしゃるのに、いつもそんなことを

    おっしゃってましたね。

    「この中国に進出しようとしている日系企業を、本当に

    成功に導いてあげるお手伝いがしたい。最後の奉公として」

    出逢ってすぐに、目をきらきらさせて、私にいつもそんな

    夢を語ってくれていました。

    一昨年ガンが見つかった時、

    「やっぱり自分は、上海に居た方が生き生きして病気も治る!」

    そうおっしゃって、家族の反対を押し切って上海に戻って

    来られました。そして確かに病気であることが嘘のように

    回復されていました。なのにどうして、、、。

    あと一歩で、江藤さんの夢の実現がスタートする時だった

    のに、、、。ようやく交流会の幹事としても、江藤さんの

    そばでいろいろお手伝いが出来るようになったのに、、、。

    私もあと一歩が踏み切れずに、江藤さんには申し訳ない

    思いで一杯です。本当にごめんなさい、、、。

    直前までお会いし、電話でもやりとりしていた私には、

    今でも江藤さんが亡くなったとは信じられません。

    ただ、ちょっと遠くに行かれただけですよね。長い間、

    江藤さん頑張りすぎましたね。少し休んでいてください。

    江藤さんの想いは、必ず残された者たちで引き継いでいき

    ますから、待っていてください。

    そしてこんなに形になりましたと、報告をしますので

    待っていてください。

    しばしお別れを、、、。

                        小堺剛司

  • 童雅芳 より:

    お爺さんのような、若者に優しく教えて頂いた。優しい方が必ず天国に居ても、皆様と通じる事が信じている。御冥福をお祈り申しあげます…

  • 高野 帆 より:

    余命に勝ちましたね~
    江藤峰義先生を偲ぶ

    江藤先生を最後にお目にかかったのは去年の7月4日、私は日本に戻るので、ご挨拶のつもりでした。念願の“フロンティア”創刊号の決定やアンティナショップの開催と共に、第11回目日中地域交流会総会を迎える事になりますので、これからも最後の夢を花咲くように頑張って楽しく生きて行こうと語りましたね。あらが最後の別れとわかったらもっと高級なご馳走しましたのに、、、
    2011年に出会ってから、<日本人倶楽部><日本館><社団法人>様々な抱負と夢を抱えている江藤先生を通して、沢山の日中間で素晴らしい架け橋の役割を果たしている方々と出会う事が出来ました。沢山の事を学び、沢山の経験をし、沢山の勉強になりましたね、、、本当にありがとうございました。
    日本と中国の間はずっと繋がって行くわけですので、良くても悪くても色々な架け橋が必要としています、江藤先生の夢は日本と中国両国の為に何かお役に立ちたい有志者皆の夢でもあり、永遠に続いて行く事だと思います、あの世に行っても楽しく見守って頂ければと思います。本当に本当にお疲れ様でした。お安らぎに!

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